「ワインは土地を飲むんですよ」。山形県上山市の丘陵にある15ヘクタール(東京ドーム3個分)のブドウ畑で、日本人女性で初めてというワインの醸造栽培責任者は静かに語った。どこにでもいるような穏やかで気品のある主婦だが、ワインを語る口調は真剣そのもの。12月まで続く仕込みの作業に汗を流している。
ブドウ畑は、硫黄泉で有名な蔵王連峰の麓(ふもと)にあった。山形が日本でも有数のワインの産地ということはあまり知られていない。県内産のブドウだけでつくるタケダワイナリーは1920年から続く老舗。その5代目社長を務めるのが、日本人女性初とされる醸造栽培責任者の岸平(きしだいら)典子さんだ。
醸造栽培責任者は、ブドウ畑の土地作りから栽培、ワインの醸造まで、すべての責任を負う。ワイナリーで醸造されるワインの味わいは、醸造栽培責任者の判断ひとつで決まる。
岸平さんは東京の大学に進学した後、ワインの研修のためフランスに渡り、国立のマコン・ダヴァイエ上級技術者コースに進んだ。
「日常会話はある程度分かったんですが、専門用語がダメ。板書もしてくれない。ある夜、フランス人の同級生が『これを写しなさい』ってノートを置いていってくれて助かりました」。4年間の研修を経て1992年に帰国し、本格的なワイン作りが始まる。父親で有名な醸造家の武田重信さん=現会長=の後継は、兄・伸一さんだった。ところが、不慮の事故が伸一さんの命を奪い、醸造を担当していた岸平さんが1人残された。
「やめようかなとも思いました。でも、ブドウが育つ時期で、『これをほっとけないだろう』という思いと、夫の『やるしかないんじゃないか』との励ましが背中を押してくれました」
醸造をめぐり、父親と対立したこともあった。
農家から仕入れたブドウを選別する際、傷ついたものをはじいていると、烈火のごとく父親が怒った。
「ブドウ農家に悪い」
傷ブドウを頭からかけられたが、自信と信念は曲げなかった。父親と自分の両方のやり方でワインを作り、2種類のワインができあがった。
「やはり私の方がおいしいワインになりました」
2005年に社長兼醸造栽培責任者に就任し、名実ともに「タケダワイナリー」の最高責任者になった。
その実力は、08年の洞爺湖サミットで「ドメイヌ・タケダ《キュベ・ヨシコ》2003」が各国首脳をうならせたことでも実証済みで、年間30万本を生産している。
ワインは土のほかに、気温のメリハリが重要だ。山形は日本で最も寒暖の差が大きいとされ、その恩恵でおいしいワインができるという。山形も今年、記録的な猛暑に見舞われた。ワイン用のブドウの収穫も平年の8割に落ち込んだという。
ところで、今年のワインはいかがですか?「開花したときに雨が多くて受粉できない『花ぶるい』や、猛暑で高温障害もありましたが、それを乗り越えたブドウは味がいい。味わい深くなっていると思いますよ」
自然農法で農薬をほとんど使わないためか、虫が飛び交い、雑草が生えたブドウ畑で、岸平さんはそういってほほえんだ。ぶどうが最高の醸造人によって最高のワインにかわっていくんでしょうね。是非飲んでみたいですね。元気が湧いてきそうな感じですね。
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