2010年9月23日木曜日

新米日本語教師

還暦を迎え新たなことに挑戦したいと、青森県青森市浪館前田の元団体職員笹田隆志さん(61)が、9月から中国の大学で日本語教師として第二の人生をスタートさせた。
日本語の教授経験こそないが、文芸同人誌の編集長を務めた経歴に大学側が白羽の矢を立てた。笹田さんは「日本語教師としては新米。学生と一緒に成長していきたい」と意気込んでいる。
長春市郊外にある東北師範大学人文学院。8階建て校舎の3階にある日本語言文化学院の教室に、2年4組の出欠を取る笹田さんと学生の声が響いた。
「大半が夜まで教室や図書館で自習する。熱意に圧倒される毎日です」。中国の大学進学率は25%程度。学習意欲の高さには、秋田大から東北大大学院に進んだ笹田さんも舌を巻く。
日本語教育とは無縁の笹田さんをスカウトしたのは、青森明の星短大国際交流センター所長を辞し、4月に日本語言文化学院長となった藤巻啓森さんだ。日本語教師を探していたときに共通の知人から紹介された。
笹田さんは当時、同人誌「北狄(ほくてき)」の編集長。小説での受賞歴もある。「きっと素晴らしい作文の授業ができる」。藤巻さんは6月上旬に青森で直接会い、熱い思いをぶつけた。
60歳を過ぎたら、青森を離れて新しい生き方をする。それが若い頃からの笹田さんの夢だった。そこに降ってきた願ってもない話。
中国は旅行で訪れたことがあるだけだったが、迷いはなかった。家族も、「お父さんの人生だから、お父さんが決めればいい」と理解してくれた。
「長春は旧満州国の首都だったという程度の知識しかなかった。でも、書くことなら教える自信があるし、あまり深くは考えなかったかな」と笑う。
いまは2、3年生を担当。自分で教科書を書き写しながら、どう教えればわかりやすいかを考える。授業のない金曜も、質問に来る学生のために朝8時から夜8時まで研究室に詰める。教え子の李蘇洋さんは、「とても熱心な先生。日本についていろいろ学びたい」と目を輝かせた。
同校で日本語を学ぶ学生は800人。「言葉の背景にある文化まで知ってほしい。ねぶたについても教えたいね」と笹田さん。中国に青森ファンが増える日を夢見る。60歳を過ぎて新たな場所で再出発できて本当に良かったですね。団塊の世代やそれにつながる人々が社会で培って来た能力や才能を是非社会に還元して日本はもちろん世界を元気にして欲しいですね。

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