2010年11月28日日曜日

光明皇后発願(ほつがん)一切経(五月一日経)

東大寺を造営した聖武天皇とともに、仏教興隆策を進めた光明皇后(701〜760)が写経させた「光明皇后発願(ほつがん)一切経(五月一日経)」の一部(断簡(だんかん))が見つかったと26日、大阪大学総合学術博物館(大阪府豊中市)が発表した。740(天平12)年5月1日の日付が記され、筆跡などから原本と判明。同博物館は正倉院宝物級の文化財だとしている。
「五月一日経」は、光明皇后が父母の追善供養と聖武天皇の福寿を願い、奈良時代に国家事業として、約20年かけ写経させた7千巻近くにのぼる仏教経典。約1千巻が現存し、うち750巻は正倉院宝物として伝えられ、残る巻は各地に散在している。
発見された断簡は縦26.6センチ、横68.5センチ。「出曜経(しゅつようきょう)」と呼ばれる経文(全20巻)のうちの「巻第四」で、全体で26紙(1紙は長さ約44センチ)が継がれた写経の巻末の2紙分。写経用の黄麻紙(おうまし)に白銀の光沢紙で裏打ちされており、虫食いなどもなく、状態は良好。経文の末尾と、奥書にあたる「天平十二年五月一日記」という光明皇后願文(がんもん)の全文が記されている。
昨年死去した井上薫・大阪大学名誉教授(日本古代史)の遺族が遺品整理中に発見、今年9月に同館に寄贈した。大阪大学の日本史研究室と米田雄介・元正倉院事務所長が調査。正倉院宝物の「巻第六」と比較し、願文の文言や日付、書写した人物の筆跡などが一致し、「五月一日経」の原本と判明した。
鑑定した米田氏は「2紙のみだが保存状態が非常に良く、まさに正倉院宝物級といっていい」と話している。
1300年余り前の皇后様の思いが込められているんでしょうね。そんな思いをつないで紡ぐまれて来た日本の歴史に対して自信を持って良いのではないのでしょうかね。

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