2011年8月7日日曜日

地上では旅人である寄留者

新約聖書のヘブル人への手紙の11章13節の途中から下のような記述がなされている。
「そして、地上では旅人である寄留者であることを、自ら言いあらわしてた。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたものは、もっと良い、天にあるふるさとであった。」
今現在、地上に生きる人類の中で、自分の意志で誕生してきたものは皆無でしょう。意識していた時には、既に生まれていたのです。私の誕生の原因は、両親の愛でしょう。両親といえど、男女を意識して生むこともできず、ただ愛するという行為の中で、授かっていきます。それでは、私の原因は、どこにあるのかといえば神様しか考えられないでしょう。2000年前、イエス様は神のことを「我が父」と初めて呼ばれました。釈迦や孔子やマホメットなどの宗教指導者はおりましたが、イエス様の境地にいった方はいません。父一人では、生命の誕生はありませんから、神様の中に母性(女性・母)の部分もあるはずです。突き詰めれば神様は父母的存在なのでしょう。
結果的に、私の両親の愛の中に、神の愛が注入されて、私が誕生したと考えることが妥当なのかもしれません。ですから、私は両親の愛と神の愛のふるさとから生まれて出た存在です。
ですから、この地上生活で旅人の生活をしながら、神の愛が何であるのかを、愛され育まれ成長して、一人の伴侶を迎えて、夫婦として愛しあい、子をなし、父母の愛を経験し、孫を通じて祖父母の愛を経験して、生まれ故郷である神様の愛の中に帰っていく。これが人生なのかもしれませんね。人生とは、人が生きると書きます。人とは男一人でも、女一人でも成立しません。男女が共に生活する結婚が不可欠ですね。その意味で、結婚してから、本当の人生が始まるのかもしれません。
死んで、行く世界が遥か彼方であっても、見えたら人生観は大きく変わるのかもしれませんね。
そんな、大きな変化が必要な時なのかもしれませんね。

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